鼎談書評 文藝春秋 掲載記事

西洋の知見をも呑み込んだ最古の歴史書「読み」の系譜

『異貌の古事記 あたらしい神話が生まれるとき』 (斎藤英喜 著)

青土社 2400円+税

片山 この本は、『古事記』の受容史です。中世から折口信夫まで、どのように『古事記』の中身が解釈されたかを論じています。神話に正しい解釈などない。その時代に合った読み方の積み重ねがあるだけだ。そういう割り切りが大前提で、とくに、江戸時代の国学者で、『古事記』の注釈書の『古事記伝』を編んだ本居宣長、その「異端の弟子」とされる平田篤胤らの、『古事記』の「読み」のなかから、彼ら本人の思想を鮮やかに切り出します。

酒井 この本を読んで、宣長も篤胤もキリスト教や天体学など西洋の知識や思想に学んでいた、というのが意外でした。

山内 ふつう、宣長の思想は、明治以後に展開する排外的「皇国イデオロギー」のさきがけとして批判されることが多い。むしろ著者は、いかに宣長の思想に西洋の最新知見が取り込まれていたかを明らかにします。宣長の一種の読書ノートによれば、『天経或問』という宣教師の知識を基にした西洋天文学の書をはじめ、「禁書」のキリスト教関連書籍も複数所持していた。さらに著作で、地球が球体であることを「理」にかなうと述べるなど、私たちが考える以上に、当時の最新知識に通暁していたのです。『西洋紀聞』や『采覧異言』などを記した新井白石もそうですが、江戸期の知識人も思想の面で西洋のインパクトを受け止めていたのです。

片山 『古事記伝』は『聖書』に影響されているのでは?という指摘ですよね。『古事記』の冒頭には、天地ができたとき、天上の「高天原」に「高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」と「神産巣日神(かみむすひのかみ)」という神が現れる。そのあと日本の国土ができてゆく。普通に読むとそうなります。

 ところが『古事記伝』はその箇所を「産巣日神(むすびのかみ)」という神が天地の誕生より前に虚空に出現して、そのあと天地ができたと注釈してしまう。神話の筋を変えている。なぜそんなことをするのか。宣長がキリスト教を勉強し、天地創造の主宰神が日本の神話にも居たことにしたくなったから。そういうことかと思います。宣長と言えば純粋に日本的なものを追求したと思いがち。日本神話と言えば八百万の神々で一神教とは無縁と思いがち。ところが宣長がやったのは日本神話と西洋思想の結びつけだったというのには驚きます。

山内 宣長が、独特で大胆な読み替えで従来の解釈を超えることができた要因は、17世紀の国際情勢の変化が大きい。明という中華帝国の崩壊により、日本が受容していた中華秩序がどうなるのか、日本の知識人にとって根本的な疑いが出てきた。そこで、中華文明を相対化し、日本の方がより正統な「中華」であるという日本型華夷思想が形成される機運が高まるのです。

酒井 篤胤の著作『霊能真柱(たまのみはしら)』にいたっては、なんと「ノアの洪水」が登場しますね。たとえば、大洪水に際して高山に登って生き延びた「能安玖(のあく)」=ノアを紹介し、当時、神代の末であった日本に洪水が及ばなかったのは、「皇国の位処の異に高く尊」く、「万国の頂上」だったからだと説く。地球上の地理学的説明をした上で、日本が万物の起源の地だと言うのです。現代からすればまさに“トンデモ”な説明ですが。

片山 篤胤流「アダムとエバ」の解釈も面白い。天地創造のあと、土塊(つちくれ)から「安太牟(あだむ)」と「延波(えは)」という男女二神を作ったという『旧約聖書』の創世神話は、日本のイザナキ・イザナミの古伝が「訛(よこなま)り」、崩れた形で西洋に伝わったのだ、と(笑)。篤胤の生きた19世紀は、西欧やロシアなど対外的な危機が高まっていた時期で、これらに対抗しうるような神話や世界観を創造する必要があったと著者は論じます。それぞれの時代に求められた読み方がある、ということですね。

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この記事の掲載号

2014年7月号
2014年7月号
隠蔽された年金破綻
2014年6月10日 発売 / 定価880円(税込)
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