鼎談書評 文藝春秋 掲載記事

ずる賢く下世話、でもどこかもの哀しい人々の記憶

『青べか物語 山本周五郎長篇小説全集 第二十六巻』 (山本周五郎 著)

新潮社 1500円+税

山内 なぜ新刊書評で、山本周五郎という昔の作家を取り上げるのか、不思議に思われる方もいるでしょうね。もちろん、新潮社から刊行されてきた長篇小説全集が、この『青べか物語』で完結したというタイミングもあるのですが、今こそ山本作品を読み直すべきだ、という思いが私にはあるのです。

 本書は、著者が昭和3年から1年余りにわたって暮らした漁村・浦安(文中では「浦粕」)での生活と見聞をもとに、自伝風の趣をとりながら、多彩な小説手法を駆使して描かれた作品です。消えゆく昭和の風景とそこに生きた人々を活き活きと描いた著者有数の傑作です。

鎌田 僕は、「誰でも1冊は本が書ける。それは自伝である」というのが持論ですが、この作品は最良のお手本だと思いました。とくに、「はじめに」で予備知識が紹介されていますね。ここで時代相を丁寧に描くことで、現代の我々でも昭和1桁の社会がどうであったか読み取ることができる。だから、そのあとの物語がすんなり頭に入ってくるんです。この書き方は読者のみなさんにお薦めしたいですね。

片山 昭和37年に公開された、川島雄三監督の『青べか物語』という映画があります。主人公の小説家「私」を森繁久弥が演じていて、私の好きな映画なのですが、原作は昭和3年当時のことを30年後に回想するのに対して、映画では昭和30年代の日本で見聞したこととして、原作のエピソードを使って撮影しています。こんなことが可能だったのも、戦争をはさんで30年も経過したのに、この地域がほとんど変わっていなかったからなのですね。映画は、浦粕を離れ、東京に向かう主人公が、橋に差し掛かると、東京側から土砂を積んだ多数のトラックが突進してくるシーンで終わります。つまり、この浦粕が埋め立てられて消失するということを暗示するんです。実際、原作が描かれた時期も、東京オリンピックに向けて、東京とその周辺が急激に変わろうとしていた時代で、それを明らかに意識しているわけですから、失われる世界の記録とも言えますね。

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この記事の掲載号

2015年5月号
2015年5月号
大型企画 患者が知らない「医療の真実」
2015年4月10日 発売 / 定価880円(税込)
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