文藝春秋SPECIAL
戦国大名 究極のサバイバル戦略

【上杉謙信】神になった名将 関白と交わした血書

越後から強力軍団を率いて、武田・北条に挑んだ関東平定。将軍家への接近、関白との血盟――名将の知られざる真実

谷口 研語 (歴史学者) プロフィール

たにぐち けんご/歴史学者
1950年岐阜県生まれ。法政大学大学院博士課程単位取得。著書に『流浪の戦国貴族 近衛前久』(中公新書)、『明智光秀』(洋泉社歴史新書y)など。

Illustration:Takashi Nemoto

 上杉謙信は様々な意味で、突出した個性を放つ戦国大名である。

 まず、その軍事的な強さ。武田信玄との川中島の合戦が有名だが、その他、数多くの戦場に赴きながら、攻め切れずに撤退を余儀なくされることはあっても、決定的な敗北を喫したことはほとんどなかった。

 さらに、謙信は武将であると同時に、強い宗教的カリスマの持ち主でもあった。毘沙門(びしゃもん)天を信仰することきわめて篤く、合戦の前には軍神を召喚する「武(ぶ)てい(=示に帝)式」を執行した。弘治二(一五五六)年には出家したいと言い出し、居城だった春日山城から高野山に向かおうとしたこともあった。また生涯妻帯せず、晩年にはますます密教への帰依を深め、阿闍梨権大僧都(あじゃりごんのだいそうず)の位階を受けた。その遺骸は居城に祀られ、今も上杉神社の主祭神となっている。

 しかし、戦国大名としてみた場合、最も突出しているのは、謙信が室町幕府や朝廷といった、もはや衰退してしまった旧体制を本気で復興させようと考えていたことだ。そのため、謙信は自ら関東管領となり、たびたび上洛し、時の関白、近衛前久(さきひさ)を関東まで連れ出して、ともに戦おうとしたのである。

 ある意味で、謙信は「下克上」に逆行した復古革命を目指していたのだ。

上杉謙信関連年表

1530 越後守護代・長尾為景の子として生まれる。
1548 越後守護代となる。
1552 上杉憲政を支援、北条氏康と敵対。
1553 第一次川中島合戦。最初の上洛。
1556 謙信、出家・隠居宣言。
1559 二度目の上洛。
1560 近衛前久、関東に下向。
1561 小田原城包囲戦。関東管領、上杉襲名。第四次川中島合戦。
1562 近衛前久、帰洛。
1576 高野山から阿闍梨位を得る。越中平定。
1578 謙信急死(49)。

【次ページ】関東管領の守護者として

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