文藝春秋SPECIAL
戦国大名 究極のサバイバル戦略

【黒田官兵衛】「独立戦争」を仕掛けた智将

秀吉の軍師として活躍した智将が戦った 「もうひとつの関ヶ原」。九州挙兵の真意はどこにあったのか

葉室 麟 (作家) プロフィール

はむろ りん/作家
1951年北九州市小倉生まれ。西南学院大学卒業後、地方紙記者などを経て、2005年『乾山晩愁』(角川文庫)で作家デビュー。『蜩ノ記』(祥伝社文庫)で直木賞受賞。『銀漢の賦』『いのちなりけり』『秋月記』『春風伝』など著作多数。

Illustration:Takashi Nemoto

「秀吉天下取りの軍師」、「智謀の人」――。黒田官兵衛といえば、そんなイメージがつきまといます。坂口安吾は、関ヶ原合戦の最中、九州で兵をあげ、西軍の諸城を次々に落とし、天下を狙うも、家康に阻まれ、志を果たし得なかった「二流の人」として、彼を描きました。しかし、果たしてそうだったのか。

 私は『風の軍師』、『風渡る』(いずれも講談社文庫)で彼の生涯を描きましたが、官兵衛に感じた最初の驚きは、戦国にもこんなヒューマンな武将がいたのか、というものでした。

 まず人を裏切らない。播州(兵庫県南西部)の小大名、小寺氏の家老だった官兵衛は、荒木村重の説得に行って、かえって捕えられ、一年間、牢に幽閉されてしまいます。その際、左足が不自由になってしまったのですが、それでも節を曲げなかった。キリシタンとして信仰も厚く、戦国大名では珍しく側室を置いていない。あの「戦乱の世」らしからぬ特徴をいくつも備えています。

 しかし、その反面、武将としてのリアリズムも持ち合わせている。チャンドラーではありませんが、「人は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」という言葉があてはまる人物は、そうはいない。

 よく織田信長を「近代を切り開いた人」と評価されますが、彼は「近代人」というよりは「絶対君主」ですね。だから、自分に逆らう勢力はためらいなく根絶やしにしたり、部下を切り捨てたりする。個人が大事なのだ、ということが、信長にはついに理解できなかった。

 それに対して、官兵衛は誰に対するにも一対一で向かい合う。そして、当時、最重要視された「家の論理」や「主従関係」だけではなく、行動原理にいつも「個」を感じるのです。私は、数ある戦国武将のなかでも、黒田官兵衛こそ最も「近代的個人」に近い人間だったと思います。

 では、その官兵衛はいったい何を目指して戦ったのか――。それを考える上で、私は、九州という土地に注目したいと思います。なぜ官兵衛は九州で、最後の戦いに挑んだのか。

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