文藝春秋SPECIAL
【中国 滅亡への法則】なぜ不安なのか?

中国人だからここまで書けた
上海的神経衰弱【赤裸々ルポ】

中国第一の経済都市・上海では、富める者も貧しき者も、ムシャクシャ、モヤモヤ。この得体の知れない不安は何なんだ!? 僕は魔都をさまよい、その正体を探る旅に出た

楊 素行 (ジャーナリスト) プロフィール

やん すしん/1974年中国・西安生まれ。2006年、宮崎産業経営大学卒業。上海在住。国際的オピニオンリーダーを目指している。

「不安だらけ」の中国を語る前に、「不安だらけ」の僕自身を語ることにしよう。

 僕は1974年に中国2000年の都、長安(現在の西安市)に生まれた。幼少時代から心配しがちな質(たち)で焦りと苛立ちを覚える日々を送っていた。高校卒業後、二浪の末、かろうじて大学の門をくぐったものの、中国の大学教育の絶望的な現場に幻滅し、無念ながらも大学2年が終わった時に自ら中退を決意した(その顛末[てんまつ]は「文藝春秋」2011年2月号に掲載された「『白熱科挙』でゲーム狂の学生しかいない」をお読みいただきたい)。

 その後、中国で就職したが、2002年に日本留学を果たした。留学先は宮崎県宮崎市にある宮崎産業経営大学だった。宮崎市は自然豊かな田園都市で、どこへ行っても和(なご)やかな雰囲気に包まれていた。しかし、高い学費と生活費に喘(あえ)いだ僕は、学校でいい成績を取って、留学生向け奨学金を確保するとともに、下校するなり、バイト先に向かい、生活費稼ぎに励む日々を強いられていた。そのストレスが溜まり溜まって、円形脱毛症に侵された(今は治っている)。

 卒業後、東京大学か横浜国立大学の大学院に入ろうと必死だったが、あっけなく敗走。敗因はいろいろあるだろうが、面接の折に不安になりがちな弱点が祟(たた)って、顔が引きつり、日本語がしどろもどろになったのが、一因ではないかと今も悔しがっている自分がいる。

 結局、僕は不安感によく取り憑(つ)かれる自分を直せないまま、ビザ切れ寸前という不恰好な体たらくで、2006年に日本を去った。その後、上海で生計を立て、今に至っているが、現状では不安解消どころか、ストレスの度合いは前よりも凄まじくなった感がある。

眠れない夜

 僕は現在、「次世代の国際的オピニオンリーダー」を名乗り、日本語と英語の語学力を頼りに翻訳者、語学インストラクター、フリージャーナリストという三本柱で未来を切り開こうとしている。志が高いだけにそれなりの先行き不安を感じ、他にも様々なストレス要素が僕にまとわりつく。万国共通のモノもあれば、「中国ならでは」と思われるヤツも多数存在し、時として僕をムシャクシャさせる。

 象徴的な例を取り上げるとすれば、隣人たちの不思議な振る舞い。最初に借りたアパートは、真上に住む老婦人が立てる騒音に悩まされた。寝静まるはずの時刻に、その老婦人が何か重い物体を床の上で引きずりまわしたり、落としたりして音がやまない。たまにという程度なら一笑に付せるだろうが、夜な夜な繰り返されると、さすがに笑えない。睡眠を確保するために何度となく、それをやめるように本人に懇願してみたら、最初のうちは騒音が収まったものの、時が経つと元の木阿弥(もくあみ)。このアパートには他の問題もあり、とうとう他のエリアに物件を見つけ、脱出を果たした。

 新しいアパートはとても静かだった。しかし、それは日中だけの話。寝る時間となると、ずっしりとしたモノが天井の上で引きずりまわされ、その音が床についた僕の耳をつんざく。神経衰弱になりそうで、真上に住む若い夫婦に苦言を呈しても、逆に「あなたは音に過敏ではありませんか」と切り返される始末。「俺は本当に過敏かも」と自分を疑い始めた矢先に、友達の一人にある話を聞いて、疑いが吹っ飛んだ。彼の外国人の同僚が上海に暮らしているが、上の階からの騒音に耐え切れず、一年のうちに実に4回も引っ越しを断行し、最後は最上階の高級物件に落ち着いたという。

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