文藝春秋SPECIAL
【中国 滅亡への法則】なぜ汚職と手が切れないのか?

雍正帝も手を焼いた腐敗の中国史

幾度も腐敗退治は試みられたが……腐敗からみえてくる中国社会のしくみ

岡本 隆司 (京都府立大学教授) プロフィール

おかもと たかし/1965年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学、宮崎大学助教授を経て現職。著書に『日中関係史』(PHP新書)、『近代中国史』(ちくま新書)など。

 中国で習近平体制が発足して三年。当初、政策も力量も未知数だった、かれの政権運営は、アメリカとの対立・経済の減速など、目前に少なからぬ難問をかかえながらも、どうにか安定を保っている。

 今やその柱となっている事業のひとつが、反「腐敗」キャンペーン。目立つところでは、少し以前に周永康ら、党や軍の大物の不正汚職を摘発したこともあって、世界を驚かせた。もちろん、大物だけではない。局外からはみえにくい、おびただしい小「腐敗」に対する締めつけも厳しかった。一日に五百人以上の処分があったとも伝えられる。

 中国に多少なりとも関わりのある外国人が、かの国で真っ先に思い浮かべるのが、高価で強いお酒の「乾杯」がつづく、盛大な接待の宴会である。ところが、反「腐敗」キャンペーンのあおりで贅沢(ぜいたく)禁止令まで出て、ろくな接待もできなくなった。当事者の不満は、筆者もしばしば直接、耳にしたところである。

「腐敗」は唾棄(だき)すべき、ネガティヴな現象、弊害だから、反「腐敗」といえば、逆にポジティヴな政策、善政になる。とりわけ「腐敗」の射利(しゃり)にあずかれない庶民の感情としては、そうにちがいない。習近平政権はおそらくそうした点から、民衆の支持を博してきた。

 大方の理解はこんなところである。しかしそんな通り一遍の観察で、中国で発生する「腐敗」、あるいはそれに立ち向かう習近平政権の位置づけがわかるだろうか。

「腐敗」のような隠微(いんび)なことであれば、局外者がおいそれと把握できるはずはないので、完全な理解はもとより不可能ではあろう。それでも日本人のみかたは、十分ではあるまい。中国の実情は歴史的にみて、われわれが普通に思い浮かべる一般的な「腐敗」とかなり違ったところがある。にもかかわらず、どうもその辨別(べんべつ)がうまくいかずに、観察が迷走しているのではなかろうか。

「腐敗」は汚職を意味しない?

「腐敗」とは、そもそも何だろう。あまりにわかりきった、バカバカしい質問と嗤(わら)うなかれ。原義はモノが腐ることである。だからモラルも行為も、くさる、劣悪だ、という意味に直結する、と思うのは、現代日本人の感覚にすぎない。

「腐敗」は漢語なので、元来は中国のことばである。しかもずいぶん古くからある語彙(ごい)で、紀元前の文献・司馬遷の『史記』にも出てくる。しかしモノが腐って、食べられない、という意味はあっても、道徳が堕落して汚職する、という意味はない。以後一貫して、そうである。

「腐敗」・モノが腐るとは、微生物が有機物質を分解する作用のこと。ただしそれは同時に、人間がその物質に対し、もう食べられない、使えない、とりかえしがつかない、というネガティヴきわまる評価を下した含意がある。

 微生物がひきおこす同じ現象でも、食べられる、栄養がある、使える場合には、「醸造(じょうぞう)」とか「発酵(はっこう)」とかいう別の漢語を用いて、ポジティヴな言い回しになる。「腐敗」のほうは、逆にそれだけ非難、敵意のこもった表現だとみてよい。

 したがって、汚職・公金着服などの不正な利得行為を「腐敗」ということばで譬喩(ひゆ)するのなら、まず前提として、そんな行為を毛嫌いする個人的な心情、厳しく断罪する社会的な通念がなくてはならない。中国にかつて、そうした心情・通念があったかどうか。そこがポイントである。

【次ページ】「小さな政府」が着服を生む

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