鼎談書評 文藝春秋 掲載記事

奈良の農村で暮らす男の人生が、ある日ぐらりと揺れ動く――

『土の記(上)(下)』 (高村薫 著)

新潮社 各1500円+税

片山 高村薫さんの新作は、2011年の東日本大震災以後に多くの日本人が漠然と抱いているだろう感覚を、搦め手から攻めて大成功している力作だと思います。文芸誌「新潮」に連載されていたので純文学の範疇に入るのでしょうが、直木賞作家の高村さんですから、ミステリーの要素もある。テーマの同時代性、スタイルの多様性、物語の豊かさ。まったくもって第一級品です。

 主人公は電機会社のシャープをリタイアし、奈良県の宇陀で田畑を耕し余生を送る伊佐夫。妻の昭代は交通事故で植物状態になり、自宅での16年の介護の末に他界。それで伊佐夫はひとり暮らしです。

 雨の音で伊佐夫が目を覚ます冒頭はたいへん静かですが、実はそのシーンが結末を予告しています。それから霊的・幻想的な超自然界、恵みも禍ももたらす自然界、そして不倫やら何やらの渦巻く人間界の3つの世界を周到に折り合わせて巧みに引っ張り、ラストで3つの世界はピタリと重なるのです。凄いですよ。これ以上話すとネタばれです(笑)。

山内 純文学といえども、やはり小説にはおもしろい要素がたくさんあってほしいのですが、本作には読み手を惹きつけるフックが種々用意してある。奥さんの死はただの交通事故ではないと匂わせてぐっと読者をつかんでしまうし、老年ゴルファーたちが宇陀のゴルフ場を超スローペースで回る様子などはユーモラスで笑ってしまいました。高村さんならではのサービス精神でしょうか。

片山 大テーマはタイトル通りで土なんですね。ゴルフ場の地面、田畑の土。信頼していたわが国土が揺らいでくる。そしてついにはカタストロフ。その予兆がちりばめられてゆく。雨で崩れた斜面の描写が地学的に詳細に叙述されるのも、この小説が地面をテーマにしていることを印象づけます。水田に迷い込んでいる鯰の執拗な描写も、リアルな農民文学らしく見えて実は超現実的象徴なのですね。鯰は地を震わすものですから。伊佐夫の一見穏やかな田舎の生活を追いつつ、足下の崩れる感覚を徐々に鮮明にするプロットの周到さは見事というほかありません。

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この記事の掲載号

2017年2月号
2017年2月号
大型企画 大女優が語る昭和の映画
2017年1月10日 発売 / 定価880円(税込)
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