赤坂太郎 文藝春秋 掲載記事

「菅抜き連立」主役たちの同床異夢

小沢は森・大島に秋波を送り、前原は安倍と気脈を通じる。ポスト菅を巡る蠢動

 統一地方選の後半戦が終わった四月二十四日。十日の前半戦に続いて民主党が大敗したことで、首相・菅直人の命脈は尽きた。いまだに収束しない東日本大震災と福島原発事故への対応も、もはや菅の延命策とはならない。昔懐かしいベテラン、現世代の実力者、OBたちが新たな「菅抜き連立」の主導権を握ろうと、永田町を駆け回っている。

 第一幕は統一地方選前半戦を終えた四月十日に始まった。政権与党としてはかつてないほどの道府県議会議員選挙での大敗を受け、最初に動いたのは民主党元代表・小沢一郎だった。大敗の余韻が残る十二日、小沢は東京・深沢の私邸に親衛隊議員を集め「この国難の時、このままでいいのか。君たちは何とも思わないのか。体制を変えなければいけない」と倒閣を宣言した。酒の肴は銘々が持ち込んだ寿司やピザ。粗末な食卓に、一同は空腹を覚えて寂しい思いをしていたが、小沢の一言に色めきたった。

「秘策はあるんですか」と勢いこんで聞いた議員に、小沢は「代表を辞めさせることはできても、総理を辞めさせるのは簡単じゃない」と言いながら、こう付け加えた。「不信任だ。野党の出した不信任案に賛成するしかない」。

 内閣不信任決議案が可決されれば、衆院解散・総選挙か内閣総辞職しかない。かつて不信任案は数々のドラマを生んできた。中でも白眉は、初の自民党の野党転落、政権交代に繋がった平成五年の宮沢喜一首相へのそれだ。主役は当時、自民党にいた小沢。与党にいながら野党の不信任案に賛成し、政局を大転換する「禁じ手」を使った成功体験を再現しようというのが、小沢の秘策なのだ。

 単なる小沢のノスタルジアとは片づけられない。十二日から三日連続で小沢が私邸に親衛隊を集めてオルグしていた最中の四月十三日。元首相・細川護熙が朝日新聞に登場し「自分が可愛いうちは切腹できない」などと、激烈な調子で菅を批判したのだ。細川こそ十八年前、小沢が自民党を倒すために首相に担いだ人物である。細川と小沢は大震災後、菅降ろしに向けて連絡を取り合っていた。

 細川が首相に駆け上がった頃、菅は社会民主連合というミニ政党に所属する、ほんの端パイ議員にすぎなかった。首相退陣後に小沢と新進党を立ち上げ、その後は小沢と死闘を演じて現在の民主党の基礎を作り、議員辞職した細川にとって、現状は座視できない。

 地方選二日前の四月八日、細川は旧日本新党の関係者を東京・半蔵門のレストランに集めて「菅は日本のためにいてはならない。絶対に辞めさせなければならない」と息巻き、朝日新聞のインタビューを予告し「これで他の人たちも動きやすくなるだろう」とぶち上げていた。

「小沢さんはどうしているんですか」と側近が聞くと、細川は「先日、電話があった。民主党から八十人同調すれば、不信任は可決できると言っていたよ」と明かした。細川は二月中旬にも、小沢の最側近である元参院議員・平野貞夫と、公明党元書記長・市川雄一を交えて銀座で密会しており、「菅は早晩、行き詰まる」と確認している。一時は創価学会名誉会長・池田大作の逆鱗に触れて政界を引退し、隠遁生活を送っていた市川も常任顧問として第一線に復帰。週に一度、東京・信濃町の公明会館で開く常任幹事会に出席して頼りない党代表・山口那津男、幹事長・井上義久を叱咤し、睨みを利かせている。小沢、細川、市川。「最初の政権交代」の立役者たちが政局の表舞台に登場してきたのだ。

 さすがの小沢も、不信任案を可決できるとは思ってはいない。小沢の真の狙いは不信任案に同調する構えをみせて菅を追い込み、自民党を巻き込んだ政権枠組みの変更――「菅抜き連立」に乗り遅れないことにある。だが今の小沢には、あまりに周りに人がいない。「菅憎し」では共通するはずの前首相・鳩山由紀夫でさえ「不信任案はよくない」と四月十二日に予定していた小沢との「倒閣宣言」を見送り、逆に二十日には菅を首相官邸に訪ねて激励し、小沢との距離をアピールする始末だった。

 自民党にも小沢の手づるはない。経世会で同じ釜の飯を食い、政局を動かしてきた元首相・竹下登や元首相・小渕恵三、元官房長官・梶山静六ら頼りとなる同志はもはやいない。パイプとなるのは元幹事長・古賀誠だけという寂しさだ。

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2011年6月特別号
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