書評 文藝春秋 掲載記事

環境を守り、持続可能性に配慮するMOS経営の挑戦

『地球と共存する経営 MOS改革宣言』 (小林喜光 著)

評者伊丹 敬之 プロフィール

いたみ ひろゆき/1945年生まれ。一橋大学商学研究科修士課程修了。カーネギーメロン大学でPh.Dを取得。一橋大学を経て、現在、東京理科大学教授。『経営戦略の論理』『よき経営者の姿』『本田宗一郎』など著書多数。

日本経済新聞出版社 1890円

 ラ・マンチャの男、を思い出した。

 この本は、風車に向かって突進する騎士さながら、人類のこの地球での持続可能性(サステイナビリティ)に貢献することを経営の中心軸の一つにすべく突進する、経営者の本である。

 著者が社長を務める三菱ケミカルホールディングスは、日本を代表する大企業の一つである。その大企業が、サステイナビリティ経営(MOS)と著者が呼ぶものに突進している。これまでの「金儲け」中心のMBA経営とは独立な次元にMOS経営をすえ、その測定指標なるものを事業ごとにさだめ、その目標達成を幹部や社員たちの本当の行動目標にすべく、経営システムをさまざまに工夫している。

 地球環境を守れ、人類の生活の持続可能性を考慮せよ、とは言葉だけなら多くの人が納得するし、そのために政府や国際機関が動け、ともみんないう。しかし、実際には動けない。だから、一つの企業の現場の活動という地球全体からみれば小さな場でMOS経営を始めなければならない、と著者はジャンプする。勇気あるジャンプである。そして、実際に経営システム作りを行い始め、動かし始めてしまう。前代未聞の試みであろう。

 もちろん、たんに収益性を犠牲にするということではない。むしろ、MBA経営とMOS経営の間の葛藤を毎日するのが経営者も現場も必要、というのが著者の信念である。

 その志に大いに共感したし、ここまで実際に企業を動かす勇気、そしてその努力を本にして公表する勇気、ともに感銘を受けた。最初のMOS指標の数値が四月に出る、その前の本書出版である。退路を断ったのであろう。

 この本のもう一つの魅力は、小林節である。シナイ半島の砂漠、ランボオの詩、地球全体を考える科学者の目、炭素や酸素の輪廻の発想、現場の人の意識へのこだわり、などなどふつうでは共存しそうもない要素が化学反応を起こして、面白い洞察やMBA経営への警鐘が生まれている。スケールの大きな理系発想である。

 ただ、MOT経営(イノベーションのための技術経営)を含んだMBA、MOT、MOSの三次元経営は、わかりにくい。むしろ、MOTはMBAにもMOSにも使いうるベースとして基礎におき、MBAとMOSといういかにも対立しそうな二次元経営を中心にした方がいいように思える。さらにいえば、MOS指標の中にこの企業の事業につながるコンフォートやヘルスが入っているのも、MBA軸との直交独立という本質に反しそうだ。

 しかし、これは書評者という外部者の繰り言か。この本の本質は、試みの志の高さとそれに突進する勇気と苦闘にある。広く読まれるべきである。

 ただ、社員たちは本当はどう思っているのか、気掛かりになった。社員の一人が「MOSは子供に話せる」といったそうだ。人は性善なれど、弱し。善の部分にMOSは訴えるものをたしかに持っている。しかし、弱い人間どもは、ついカネで測られるとふらつく。「面白うて、やがて悲しきMOS」とならないか。だが、案外、「悲しゅうて、やがてうれしきMOS」となる社員が多くなるのでは、と私は期待している。

この記事の掲載号

2012年3月特別号
2012年3月特別号
第146回芥川賞発表
2012年2月10日 発売 / 特別定価890円(税込)
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