今月買った本 文藝春秋 掲載記事

中国の今を問う

『中国貧困絶望工場』『いま中国人は何を考えているのか』 ほか

野口 悠紀雄 プロフィール

のぐち ゆきお/1940年生まれ。63年東京大学卒業。大蔵省に入省。72年にエール大学でPh.D(経済学博士号)を取得。現在、早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。著書に『戦後経済史』など。

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 中国には2種類の工場があると『中国貧困絶望工場』は指摘する。政府の検査官や外国の発注者に見せるための「モデル工場」は、労働時間などについて規制に従った模範的な操業を行なっている。しかし、工場の99%が、当局に登録されていない秘密の「陰の工場」を持つ。違法残業で生産性をあげるには、タイムカードを偽造するより、この方法のほうが効率的なのだ。生産量は、陰の工場がモデル工場より2~3割多い。「中国で労働法を守っていたら、ビジネスなんてできない」とある工場長は言う。

 中国経済の実態は、案内された工場を見学しても分からないのだと、改めて思い知らされる。ましてや、中国政府の発表だけでは、実態を大きく見誤る危険がある。中国の統計は不十分で、しかも信頼できない場合もある。

 それにもかかわらず、日本のメディアが報じるのは、中国政府の発表と、日本企業が中国で展開する事業についての発表がほとんどだ。現地に出向いての取材があまりに少ない。1980年代にアメリカ経済が不調に陥ったとき、大都市は荒廃したが、郊外には豊かさが満ち溢れていた。そして、大学は依然として強かった。これらを見なかった人は、90年代のアメリカの復活と繁栄を理解できなかったろう。いまの中国でも、さまざまなことが起きているに違いない。尖閣列島事件以来、日本で感情論先行の反中論が広がっているのも気になる。中国を評価する前に、中国の人々がいかに考え、いかに行動しているかを正確に知りたい。

 リーマンショックで中国の輸出が激減したとき、深セン(土へんに“川”)や東莞などの沿海部都市は大変な事態になったはずだと思ったのだが、これについての詳しい報道は、日本のメディアにはなかった。『いま中国人は何を考えているのか』の著者加藤嘉一氏は、東莞市当局の楽観的な見通しにもかかわらず、経営者は厳しい状況に直面していることを報告している。また、賃金が上昇しているとの統計はあるのだが、実態はどうなっているのか? 加藤氏は、鄭州を訪れ、路上で自発的に形成されている労働市場で求人側になりすまし、労働者の本音を探っている。

『現代中国女工哀史』と『中国貧困絶望工場』は、沿海部の工場に働く女工たちの生活を、詳しくレポートしている。どちらにも、努力して工場労働者から抜け出し、生活を向上させていく少女たちのストーリーがある。劣悪な労働条件下で一日中働く彼女たちは、確かに哀れだ。しかし、同時に夢もあるのではないか? 実際、原書のタイトルには、「哀史」とか「絶望」などの言葉はない。著者たちは、中国の惨状を告発したいのでなく、猛烈な勢いで成長する経済のなかで、逞しすぎるほど逞しく生き抜いていく人々の行動を描きたいのではないか?

 日本経済再生の鍵は人材開国だと私は信じているのだが、『最強国の条件』を読んでその感を強めた。本書が最強国の条件だとする「寛容性」とは、異なる人種や多様な宗教・文化を許容することだ。古代ペルシャ帝国の時代から、世界を支配する国や社会は、寛容政策を採用することで勃興した。ところが、寛容さが不寛容の種をまく。そして、不寛容と排他主義に陥り、衰退し、滅亡する。

 現代世界で寛容政策を取るのは、アメリカとイギリスだ。第2次大戦の枢軸国は、(日本の台湾政策を例外として)民族的不寛容に陥った。では、これからの世界において、アメリカは世界最強国家であり続けられるか? 中国は最強国家になりうるか? 本書の結論は、中国がアメリカにとって代わることはないというものだ。この見方に私も同感である。

「ユーロとは、ドイツの勤勉さにギリシャがただ乗りする仕組みだ」とする『ブーメラン』の指摘はその通りだ。しかし、「アイルランドは身の程知らずの住宅バブルで破綻した」との見方に、私は同意できない。強いIT産業を持つ同国は、金融危機から脱出しつつある。IMFなどの国際機関の予測では、数年後の同国の成長率は、ドイツより高くなる。

『瞬間説得』には、一瞬で相手の心を変えてしまう技術が述べられている。ある晩さん会で、顔見知りの政府要人が高価な銀の塩入れをポケットに忍び込ませた現場を見てしまったチャーチルは、どう対処したか?

 ゼロがバビロニアで発明されたのは知っていたが、なぜそれが必要だったのかを『異端の数ゼロ』で知った。数の話はいつも面白い。

今月買った10冊

  1. 『中国貧困絶望工場』 アレクサンドラ・ハーニー 漆嶋稔・訳
    日経BP社 2310円
  2. 『いま中国人は何を考えているのか』 加藤嘉一 日経プレミアシリーズ 893円
  3. 『現代中国女工哀史』 レスリー・T・チャン 栗原泉・訳 白水社 2940円
  4. 『中国 危うい超大国』 スーザン L.シャーク 徳川家広・訳
    日本放送出版協会 2625円
  5. 『最強国の条件』 エイミー・チュア 徳川家広・訳 講談社 2940円
  6. 『ブーメラン 欧州から恐慌が返ってくる』 マイケル・ルイス 東江一紀・訳
    文藝春秋 1470円
  7. 『瞬間説得―その気にさせる究極の方法』 ケヴィン・ダットン 雨沢泰・訳
    NHK出版 2835円
  8. 『異端の数ゼロ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』
    チャールズ・サイフェ 林大・訳 ハヤカワ文庫NF 903円
  9. 『アジア力』 後藤康浩 日本経済新聞出版社 2100円
  10. 『プロメテウスの罠』 朝日新聞特別報道部 学研パブリッシング 1300円

この記事の掲載号

2012年6月号
2012年6月号
人物研究 橋下徹 12人の公開質問状
2012年5月10日 発売 / 定価840円(税込)
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