著者は語る 文藝春秋 掲載記事

つねに新しい素材に挑み続けた美術家の生涯

『恩地孝四郎 一つの伝記』 (池内紀 著)

佐久間 文子 プロフィール

さくま あやこ/1964年、大阪府生まれ。1986年、朝日新聞社に入社。文化部、「AERA」、「週刊朝日」などで主に文芸や出版についての記事を執筆。2009年から2011年まで書評欄の編集長を務める。2011年に退社し、フリーライターとなる。

幻戯書房 6090円(税込)

 恩地孝四郎(1891―1955)。抽象版画や萩原朔太郎『月に吠える』の装幀などで知られる美術家の生涯を1冊にまとめた。

 ドイツ文学者の池内さんは美術が好きで、みずから絵筆もとる。なかでも恩地作品は30年近く前からずっと見てきた。

「ほかの人と断然違う。抽象画を非常に早くから、カンディンスキーとほぼ同時に試みていますが、恩地のほうが柔らかさとふくらみがある。ヨーロッパの影響ではなく、独自に抽象という表現にたどり着いた人です」

 版画、油彩、詩、写真、装幀と表現の幅が広い。完成に近づくと、それを恐れるように次の表現へと向かう。つねに新しい素材に挑み続け、その作品は生前ほとんど売れなかったらしい。

「ひとつのかたちに落ち着くと芸術は堕落すると考えていたのでしょう。既存の画壇で、いやというほどそうした例を見ていたでしょうから」

 それだけ全体像をつかみづらい個性でもある。作品がたたえる強いノスタルジアともいうべき詩情を、池内さんは慎重に言葉に置き換えていく。恩地の詩が作品を理解する手掛かりになった。

 歴史の浅い創作版画を盛り立てるため、まとめ役として磁石の役割も果たした。東京・杉並の恩地の家の周りには、彼を慕う若い芸術家たちが勝手に住み着いていたという。

 人との出会いに恵まれた。若いときには竹久夢二と知り合い、田中恭吉、藤森静雄らと同人誌を立ち上げた。日本が戦争へと向かう時期に、志茂太郎というすぐれた出版人の支援を受け雑誌「書窓」を発行している。志茂の仕事を調べるなかで、大量の活字を廃棄する「変体活字廃棄運動」なる奇妙な活動を知り、彼らが反対していたことも紹介した。

『見知らぬオトカム』の画家辻まこと、『ことばの哲学』のドイツ語学者関口存男(つぎお)に続いての評伝3部作となる。いずれも広く知られた人物ではないが、「自分が20年以上その文章に親しみ続けてきた、人生という旅の同行者という点で共通します」。仕事を中心に書き、よほど必要なこと以外、私生活にはなるべく触れないのが池内さん独特の流儀だ。

 装幀家として書物の美しさを求めた人についての本らしく、表紙カバーを広げると裏表に恩地作品が印刷されている凝ったつくり。作品の図版や写真も60点あまり収録した。

「幻戯書房を主宰する作家の辺見じゅんさんは、古書展で恩地の稀覯本を見つけては、プレゼントして、なかなか仕上がらない原稿を待ち続けてくれました」

 この本は昨年9月に急逝した辺見さんにささげられている。

この記事の掲載号

2012年7月号
2012年7月号
徹底追及 平成政治24年 亡国の「戦犯」
2012年6月8日 発売 / 定価840円(税込)
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