書評 文藝春秋 掲載記事

ポーランド・レジスタンスによる奇跡の記録

『私はホロコーストを見た 黙殺された世紀の証言1939-43〈上〉〈下〉』 (ヤン・カルスキ 著/吉田恒雄 訳)

評者野崎 歓 プロフィール

のざき かん/1959年新潟県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。文学・映画評論や翻訳、エッセイなど幅広い分野で活躍。著書に『アンドレ・バザン 映画を信じた男』(春風社)、『異邦の香り――ネルヴァル「東方紀行」論』(講談社)など。

白水社 上下各2940円(税込)

 驚くべき歴史的ドキュメントの完訳である。

 舞台となるのはポーランド。一九三九年九月、ナチス・ドイツが西から侵攻した。第二次大戦の始まりだ。その半月後には東からソ連軍が侵入。国土はあっという間にドイツ、ソ連両国による分割統治下におかれてしまった。

 ソ連は、二万五千人のポーランド軍捕虜を虐殺した(「カティンの森事件」)。ナチスによる統治も苛烈をきわめ、被占領民は食糧不足と圧政に苦しめられる。

 同盟国である英仏は、ドイツとの戦争の全面化を恐れ、腕をこまねいて見ているのみだった。しかも四〇年、パリは陥落してしまう。以後、ポーランドの状況は悪化の一途をたどる。

 著者ヤン・カルスキは一九一四年生まれ。抜群の成績で学業を終え、外交官として第一歩を踏み出したところで祖国が崩壊してしまった。以後彼の経験した、実話とは信じられないほどの冒険がつぶさに語られている。しかしすべては実際にあったことなのだ(本書は歴史家が厳密な注釈をほどこした完全版である)。

 ソ連のラーゲリから逃げ出したのち、ドイツ軍の捕虜収容所に送り込まれ、仲間をつのって脱走する。地下抵抗運動に身を投じるが、ゲシュタポの手に落ち激しい拷問を受ける。口を割らずにすむよう、独房内で両手首を切って自殺を図るが未遂に終わり、移送先の病院から抵抗運動の同志たちによって救出される。

 以降、カルスキはポーランド秘密政府伝令(クーリエ)の任務を帯びて、いよいよ果敢に地下活動に邁進する。ユダヤ人指導者たちに懇願されてワルシャワ・ゲットー、さらにはベウジェツの絶滅収容所に潜入し、凄まじい状況を目のあたりにする。

 そこでカルスキは、世界でまだほとんど知る者のなかった、ナチスによるユダヤ人虐殺の事実を知らしめるべくペンを取り、レジスタンスの記録とあわせて発表した。それが本書なのである。

 不謹慎な表現とは知りつつ、どんなサスペンス小説もかなわない面白さ、などと言いたくなってしまう。とにかく次から次へと、驚くべき試練の連続である。しかもカルスキの文章は、困難な、先の見えない戦いのただなかで綴られたにもかかわらず、決して悲憤慷慨調にはならない。ポジティヴな透明さがあり、軽やかささえ感じられる。「わたしはあきらめない」という不屈の闘志が、全編に晴れやかな調子を与えているのだ。

 自分たちは祖国の「自由・独立」のために戦っている。そんな確固とした思いを秘めて、被占領下の無名の庶民たちがどれほどの団結心と勇気を発揮したか。カルスキのような知力、体力ともに超人的な資質をそなえた者だけではない。とりわけ女性たちの毅然とした佇まいが胸を打つ。「女性連絡員こそ、占領下ポーランドにおける女たちの運命を象徴している」とカルスキは讃えるのだが、そこにはまさに殉教者と呼ぶほかないような気高い自己犠牲があった。

 最大の悲劇はユダヤ人たちの運命である。ポーランドだけで三百万人の死者を出したといわれる。だがそれだけの大量殺戮が粛々と行われているとは、当時の人々にとって想像の及ぶところではなかった。またユダヤ人は徹底的に外部から遮断され、隔離されていた。ホロコーストはいわば巨大な完全犯罪だったのである。カルスキは四四年に本書を刊行する二年前から、その内容を英米の要人に報告していたのだが、事態の進行を食い止める役には立たなかった。

 それは彼の力不足のせいとは言えまい。“こんなことが本当にありうるのか”という当惑が強すぎたためではないか。現代の読者にとっても、カルスキの目撃した極限的な光景はあまりに恐ろしい。なぜ人間はここまで非人間的になれるものなのかと、本書は今なおわれわれに問いかけてくるのである。

この記事の掲載号

2012年11月号
2012年11月号
総力特集 日中文明の衝突
2012年10月10日 発売 / 定価840円(税込)
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ヤン・カルスキ吉田 恒雄野崎 歓

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