赤坂太郎 文藝春秋 掲載記事

安倍政権の命運を握る「新・四人組」

「お友達」内閣の苦い教訓は活かされるのか。人事で占う安倍内閣の行方。

カット・所ゆきよし

「安倍晋三君を第96代総理大臣に指名します」――。

 自民党・公明党合わせて325議席という圧勝で、「逆」政権交代を果たした第46回総選挙から10日後の12月26日、安倍晋三は、衆院での首班指名を受け、5年3カ月ぶりに総理大臣に返り咲いた。06年に発足した第1次安倍内閣が掲げたキャッチフレーズ「再チャレンジ」を自ら果たした形だ。

 だが、安倍の再チャレンジの成否は、5年前に“お友達内閣”と揶揄され、官邸崩壊の引き金となった人事下手を克服できるか、にかかっている。

「来年夏の参院選では公明党の協力を得なければなりません。日本維新の会やみんなの党とは予算案や政策ごとの部分連合で協力をあおいでいきましょう」

 すでにマスコミの情勢調査で「自公で300議席超」が明白になっていた衆院選投開票日数日前の12月中旬。自民党幹事長代行だった菅義偉は、携帯電話で、安倍にこう進言した。安倍は当初から日本維新の会と連立して憲法改正を打ち出すことも視野に入れていたが、菅の言葉で、参院選までは自公体制を基軸とした「安全運転」に徹することに落ち着いた。

 内閣の司令塔である菅官房長官に対する安倍の信頼は絶大なものがある。菅は秋田県の農家に生まれ、高校卒業後、集団就職で上京した。働きながら法政大学を卒業、故小此木彦三郎元通産相の秘書から、横浜市議となり1996年、47歳で、初当選を果たした「苦労人」。

 そもそも、06年の自民党総裁選で候補の座を、同じ森派の福田康夫元首相と争い、派閥分裂も覚悟した安倍の命を受け、衆院当選6回以下、参院当選2回以下の自民党所属議員94人を集めて「再チャレンジ支援議員連盟」を立ち上げ、勝負の流れを決定的にしたのが菅だった。その論功行賞で当選4回にして総務相に就任。ふるさと納税の創設、地方分権改革推進法の成立、NHK受信料値下げなど、お友達内閣の中で、その剛腕ぶりは異彩を放った。

 昨年の自民党総裁選に出馬するにあたっても、8月の時点では迷いを見せていた安倍に対して「自民党支持層には安倍待望論があるが、向こうからはやってこない。飛び込んで局面を打開するべきです」と“主戦論”を唱え、出馬の意思を固めさせた。お友達から一歩踏み込んだ盟友に近い存在だ。

 その菅より関係の長い盟友が首相補佐官となった衛藤晟一参院議員だ。

 衆院選圧勝の熱気が冷めやらない12月18日午後5時、自民党本部。衛藤は記者の目を避けるように、地下駐車場から4階の総裁室裏手へ直行するエレベーターで安倍を訪ね、ある文書を手渡した。それは安倍の指示を受けた衛藤が、中西輝政京大名誉教授、八木秀次高崎経済大教授らと水面下で接触し、とりまとめた安倍政権の“工程表”だった。

 この工程表においては、長期的な目標として「国防軍」の創設を柱とする憲法改正を明記。中期的には米国を狙う弾道ミサイルの迎撃など限定的な集団的自衛権の行使容認、例外を設けた環太平洋経済連携協定(TPP)参加を掲げ、項目ごとに具体的な手法も付記した。短期的な目標としては、尖閣諸島への公務員常駐に加え、「河野談話」の事実上の撤回や拉致問題の解決も盛り込まれた。

 いずれも戦後レジームからの脱却を唱える安倍の思想を色濃く反映したものだが、実はこうした安倍の思想形成に大きな影響を及ぼしてきた人物こそ衛藤なのである。衛藤は大分大生時代、右派の学生運動家として全国に名をはせた。25歳で大分市議当選後、大分県議を2期務めて、90年に衆議院議員に初当選した。安倍の父、晋太郎の全面支援で大量当選した新人の1人だった。

 晋太郎が志半ばで病に倒れ、晋三が後を継ぐと、衛藤は「晋太郎の夢を晋三に果たさせる」と心に期す。今や、安倍の有力なブレーンとなっている右派のシンクタンク「日本政策研究センター」の伊藤哲夫代表を、若き日の安倍に紹介したのも衛藤だった。伊藤と衛藤は学生運動の同志の関係である。

 衛藤は、保守政治家としての安倍晋三の「生みの親」とも言える。

【次ページ】 「安倍一族」の登場

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2013年2月特大号
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