著者は語る 文藝春秋 掲載記事

答えの出ない堂々巡りの世界を言葉で編む

『冷血(上・下)』 (高村薫 著)

佐久間 文子 プロフィール

さくま あやこ/1964年、大阪府生まれ。1986年、朝日新聞社に入社。文化部、「AERA」、「週刊朝日」などで主に文芸や出版についての記事を執筆。2009年から2011年まで書評欄の編集長を務める。2011年に退社し、フリーライターとなる。

毎日新聞社 各1680円(税込)

 十代で読んだトルーマン・カポーティによるノンフィクションノベルの傑作『冷血』が、ずっと高村さんの心にあったという。

「男二人がよく考えもせず強盗に入り、殺さなくてもよい家族四人を殺してしまう。事件というのは本当にとらえがたいものだと思いましたし、一九五〇年代末のアメリカで起きた、言葉にできない『悲劇の塊』は私に強い印象を残しました。華やかでも豊かでもないアメリカを知ったのも『冷血』からです」

 日本の殺人事件報道や小説での描かれ方に違和感を覚えたのも『冷血』の読書体験があったからだった。

「その違和感を検証してみよう、見つめ直してみようと書いたのがこの小説です」

 カポーティ版と同じく高村版『冷血』でも、犯罪に手を染めるのはどこにでもいそうな二人の男。携帯電話の求人サイトで知り合った井上克美と戸田吉生だ。二人はいきあたりばったりに盗みに入るが、留守のはずの家人に出くわし一家四人を惨殺、金品を奪って逃走する。

 犯罪が起きる前の被害者の日常。犯人二人の出会い。凶行の現場。犯罪の発覚までがたたみかけるように描かれる。ふつうのミステリー小説ならば終盤に置かれるはずの犯人逮捕劇は上巻の最後に。逮捕は物語の終わりではないのだ。

「事件のなぞが解かれた先の、答えの出ない堂々巡りの世界を言葉で編んでいくのが私の仕事だと思うんですよ」

 なぜ殺したのか。明晰に語る言葉を持たない二人に、高村作品でおなじみの刑事合田雄一郎が対峙する。膨大な調書を読み、仮説を立てては「否」と打消して思考を巡らせ、二人に手紙を書く。

「ああでもない、こうでもないと、合田は言葉でもって二人の周りをぐるぐる回っている。昔から、私は人間が言葉ですべて説明できると思いすぎているのが気になっていました。ひとりの人間が罪を犯す、それによって人が死ぬ。それらを言葉で断定して理解した気になることに、もっと慎重になっていい」

 土地の名前や時代が明示されるのが高村作品の特徴のひとつ。二〇〇〇年代前半が舞台の今作でも、二人が乗る車、好きな漫画、パチスロの機種、鼻歌の曲名、一つひとつが丁寧に書き込まれる。

「私は漫画も読みませんし歌謡曲も聞かない。最初は『パチスロ』って何?という状態でしたけど、ぜんぶ一から勉強しました。車の構造も、戸田は歯が悪いという設定ですから歯学の勉強も。大変でしたけど調べるのは苦痛じゃない、知らないまま書くほうが苦痛ですね」

 何本も重ねられた描線によって次第に浮かびあがる二人の男の像。その確かな重量に粛然とさせられる。

この記事の掲載号

2013年2月特大号
2013年2月特大号
独占手記 丹羽宇一郎前中国大使 日中外交の真実
2013年1月10日 発売 / 特別定価890円(税込)
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