書評 文藝春秋 掲載記事

第二次大戦を食糧から分析する

『戦争と飢餓』 (リジー・コリンガム 著/宇丹貴代実・黒輪篤嗣 訳)

評者山内 昌之 プロフィール

やまうち まさゆき/1947年生まれ。歴史学者。東京大学大学院総合文化研究科教授。87年『スルタンガリエフの夢』でサントリー学芸賞、91年『ラディカルヒストリー』で吉野作造賞、02年司馬遼太郎賞受賞、06年紫綬褒章受章。『リーダーシップ』など著作多数。

河出書房新社 4725円(税込)

「餓島」という言葉も知らない日本人も多くなった。ソロモン諸島のガダルカナル島が「餓島」と呼ばれたのは、第二次大戦中の米軍との攻防戦で日本軍の餓死者が悲惨にも一万五〇〇〇人に上ったからだ。戦死者は五〇〇〇人である。いかに日本軍の作戦が兵站(へいたん)を無視していたかが分かるだろう。

 しかし、この種の問題は日本だけでなかった。大戦中に世界の軍人の戦死者は一九五〇万であったのに、飢餓や栄養失調で死を迎えた人びとは二〇〇〇万にも達した。ドイツもソ連も深刻な食糧事情の悪化に苦しんだのである。この書物は、食糧の問題が戦争の中心的な役割を占めたことを明らかにした。

 飢餓による死はドラマに欠けるという者もいる。それはゆるやかに人びとの気力を奪う静かな過程だからである。とはいえ、飢餓による死がひどく悲惨であることに変わりがない。ことに戦場で餓死したり、収容所で栄養失調のために死ぬ惨事と並んで、銃後の国民や占領地の農民が餓えて死亡するのは歴史の不条理にほかならない。著者によれば、ナチス政権の農業政策こそ戦時中の残虐行為の根本原因だというのだ。

 ウクライナはじめ東欧に農業帝国をつくってドイツ人の食糧事情を豊かにするには、どうしてもユダヤ人などを餓死に追い込んで人減らしをする必要があった。その先にはホロコーストが待ち構えていた。ソ連の強制収容所や日本の捕虜収容所でも相当数が飢餓と栄養失調で命を落としている。

 人間の活動に必要なカロリーが一定である限り、戦争経済の全部門は食糧部門に依存せざるをえない。食糧供給に失敗すれば、軍隊ばかりか軍需産業にも市民の士気にも影響が出る。食糧は戦争経済ひいては戦争の行方を左右する重要な要因だという著者の指摘は正しい。なかでも、ソ連と日本は兵士や市民を消耗品と見なす傾向が強く、両国の兵士と市民は窮乏状態に耐える高い能力をもっていた。

 それにしても、前線部隊への食糧供給に無頓着だった日本軍の兵站思想は異常であろう。一七四万の大戦戦死者のうち六〇%が戦闘でなく飢餓で死亡した勇者だったからだ。そもそも戦艦の建造にこだわるあまり、輸送路を守る潜水艦や駆逐艦を増強せず、非武装の商船隊によって南洋への物資補給を図った無謀さには呆れるほかない。一九四三年以降は東南アジアから米を輸入できず、しかも徴発した穀物や食糧は地元民の口にも入らず、各地に飢餓や栄養失調をもたらしたからだ。

 食糧が銃後の日本人の口にも入らず、中国大陸や東南アジアの人びとのエネルギー源も奪ったとすれば、それは目指した「新秩序」どころか「新無秩序」でしかなく、「共栄圏」ならぬ「共貧圏」だったというマラヤの教師の言が痛みをもって甦るのである。

 日本の占領下にある華中が食糧危機に苦しみながら満州に小麦を送り続け、満州は日本に記録的な量の大豆を供給した。上海では米の値段が二四〇倍にも高騰し現地の人びとを深刻な食糧難に追いやった。日本陸軍には糧を敵に求めるという時代錯誤の考えがあった。マレー作戦時に偶然から英軍の豊富な備蓄食糧を得て「チャーチル給与」と俗称した成功体験から、ますます兵站を無視するようになった。その極めつけがビルマのインパール作戦の悲劇である。

 ところで著者が日米開戦以前の日本軍を、米軍と比べても「世界でも指折りの食事が豊かな軍隊」だったとしているのは驚くほどだ。倹約思想や兵士の克己心などは世界でも屈指だったと評価する。日本で救いなのは、食糧不足をまがりなりにも上は天皇から下は一般国民や兵士が耐え忍んだことだろう。これに比べて、ソ連のスターリンら共産党エリートは異質だ。彼らが餓死や戦死者が相次ぐ苦境を尻目にキャビアやウォトカなどで毎日を贅沢に過ごす偽善の光景描写も著者は忘れていない。

この記事の掲載号

2013年3月特別号
2013年3月特別号
第148回 芥川賞発表/生誕90周年記念特集 司馬遼太郎が見たアジア
2013年2月9日 発売 / 特別定価890円(税込)
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