書評 文藝春秋 掲載記事

米寿の碩学が挑む哲学への回帰

『人類哲学序説』 (梅原猛 著)

評者ロバート・キャンベル プロフィール

ろばーと・きゃんべる/ニューヨーク生まれ。日本文学研究者・東京大学大学院教授。近世・近代文学が専門。1985年に九州大学文学部研究生として来日し、2000年に東京大学の助教授に就任。2007年から現職。テレビや新聞などでも日本文化、文藝を中心に多く発言している。

岩波新書 798円(税込)

 梅原先生の新著を、大学院生のころに読みたかったなと、つくづく思った。三〇年ほど前、ハーバード大学の寮で毎週教授らとシェリー酒を飲みながら談笑する時間があった。よく出かけていった。哲学のクワイン教授をはじめ名だたるメンバーばかりが居並ぶなか、ある晩、フランス文学者の女性に専門を問われて、「日本文学」と答えた。すると相手は薄笑いを浮かべながら「面白いね、でも私はやはりヒューマニズム(人間中心主義)が大切だと思っているわ」と切り返してきた。

 ガツンときた。「ヒューマニズム」が欧米世界にだけあってアジア文化にない、日本人はヒューマニズムに欠けているなんてことを一度も考えなかったし、とっさに反論ができなかった。馬鹿げた話を聞かされたもんだと半分呆れ、しかし半分は自分の不甲斐なさをかこつ心地悪さをシェリー酒と一緒に飲み込んだことを今も憶えている。

 この一冊が片手にあれば、と思って読書後に過去の自分に手紙を書きたいくらい、納得した。

 本書の執筆も、実は著者の若かりし頃への振り返りから始まっている。戦時中、旧制高校の生徒だった梅原先生は、死を直視するさなかで人間がどう生きるべきか、哲学からその解を求めようとした。戦後も哲学を学び続けたが、四〇歳になる頃、行き詰まりを感じる気持ちが抑えられず、以降は日本文化、とくに古代をめぐる研究を積み上げてきた。つまり本書は半世紀ぶりの、いわば哲学への回帰を意味する。

 人類の生存すら危機に瀕している現状をもたらしたのは、原子力に代表される近代科学技術の発展と暴走にあるとして、それらの技術を論理的、精神的にも裏づけてきた西洋哲学そのものを指弾する。過去の自分を救ったという思想なだけに、愛情をこめて語っているのだが、切り込みは鋭い。

 西洋哲学の限界はすなわち「人間中心主義」にある、という。自然に抗い、征服し、あらゆる物質に優位であるがゆえの傲慢さを人間に植え、何世紀にもわたって、再生産されてきた哲学の功罪。デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」の「われ」とは、場所も肉体も特定されない、「疑う」だけが能の存在であり、他者の存在に拠らない。理性を研ぎ澄ました先にあるのは、抽象的で機械的、肉体を伴わない虚ろな「自我」である。その「肉体がないということは、生物としての歴史を持た」ず、とうぜん動物も植物も、人間以外の「他者」全ての生に対して鈍感、いや貪欲にならざるを得なかった、という。同じようにニーチェにおける生への「意志」、ハイデガーにおける死への覚悟と「存在」の予感も、所詮人間という柵に閉ざされた狭い了簡から生まれた概念として、否定している。

 ところで日本の真言宗に、「草木国土悉皆(しっかい)成仏」という思想がある。仏性という、仏になれる性質を人間にかぎらず、動物はもちろん、草木・国土にいたるまで認めている。著者は地球も「生きとし生けるもの」と見なすこの思想こそ、遠く縄文時代に遡る日本文化の原理と見る。自然破壊と「人間中心主義」を凌ぐ著者の結論は、「悉皆成仏」の精神世界に求められる。回帰であり、八八歳にして初めて開く「序説」の一ページとして、注目に値する。

この記事の掲載号

2013年7月号
2013年7月号
大型特集 父への手紙、母への手紙
2013年6月10日 発売 / 定価840円(税込)
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