書評 文藝春秋 掲載記事

書く日本語は多様が自然

『正書法のない日本語』 (今野真二 著)

評者高島 俊男 プロフィール

たかしま としお/1937年生まれ。中国文学者。東京大学大学院修了。91年に『水滸伝と日本人』を発表。95年から2006年まで「週刊文春」で人気連載「お言葉ですが……」を執筆。著書に『本が好き、悪口言うのはもっと好き』『漱石の夏やすみ』などがある。

岩波書店 1680円(税込)

「正書法」とは、ある語の正しい書きかた、ということである。

 たとえば英語には正書法がある。夜はnightと書く。niteとかnaitと書いたらまちがいである。必ずnightでなければならない。

 日本語には正書法はない。たとえばわたしは上に「書きかた」と書いた。「ほう」と「かた」はかな書きすることにしている。この本の著者は「書き方」と書いている。あるいは「かきかた」の人もあろう。どれが正しいということはない。自由である。

 だから「正書法」という語自体が、日本語にとっては不要のものだとわたしは思っている。英語orthographyの訳語として作られた語である。

 この本の題を見てあるいは、日本語に正書法が確立していないのは問題だ、というようなことを言ったものかと思ったかたがあるかもしれないが、そうではない。書く日本語の多様さの歴史を書いた本である。

 昔の日本人がどう書いたかを見るのは、写真が一番である。この本には写真が多数出ていておもしろい。まことに多彩である。

 どなたもごぞんじのように、書く日本語は中国の漢字が入ってきて始まった。当然最初はすべて漢字で書いた。例として万葉集が詳しく紹介されている。その表記は多様だが、試行錯誤ではなく一つの「到達点」を示したもの、というのが著者の見解である。

 平安期にかな文字を作ったが、漢字使用も依然つづけた。書く日本語はいよいよ多様多彩になった。

 現在の書く日本語はかなり固まってきているが、著者が言うようにそれは「現代という時代に特有のこと」である。百年もたっていない。

 わたしの見るところそれはおもに、明治半ば以後の日本政府が西洋にならって「一様な書きかた」政策を推進したからである。たとえばちょうど世紀のさかいめ一九〇〇年(明治三十三年)に、かな文字の字体統一を下令している。それまでは、特にひらかなは、一つの字について種々の字体があった。これも書く日本語の多様さであった。それを一字一体ときめた。

 また二十世紀半ばには、かなの用法を「は・へ・を」以外は発音通り、ときめ、漢字は範囲を限って、政府の認める読みのみ、と定めた。これによって、だれが書いてもほぼ一様になることを期したのである。

 今、パソコンで文章を書く人が圧倒的に多くなっている。その人たちの大部分は、パソコンが出す文字列を正しいものとして、ほぼ無条件で採用するらしい。だれが書いたものも、だいたい同じようである。事実上パソコンが正書法をきめ、大多数の人はそれに従っているように見える。

 実はこのたび、いま出ている国語辞典の一部には、最初の凡例に「正書法」の項を立てるものがあるのに気がついた。その辞書の示す書きかたが正書法である、ということらしい。

 しかし書く日本語は、多様が自然な要求である。たとえばわたしは同じことを、前後関係によって時に「今」と書き時に「いま」と書く。それが漢字とかなとを混用する日本語の生理だと思っている。あらためて、日本語には正書法はない、と言いたい。

この記事の掲載号

2013年8月号
2013年8月号
池上彰 連続インタビュー あなたは日本をどう変えますか
2013年7月10日 発売 / 定価840円(税込)
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